#0-1:「過程」を楽しみ、慈しむことが課題と気づく

こんばんは。

 

先週、関東地方に雨か雪が降るとの天気予報でしたが、幸いにも穏やかな日差しを楽しむことができました。

冬本番です。皆さま、いかがお過ごしですか。

 

本日は、「これからやりたいこと」に関連することではなく、最近「気づいたこと」の一つについて書いていきます。

 

「達成した結果」だけでなく、「経過」を楽しみ慈しむことを知る。

 

これが、「気が付いたこと」でした。

人によっては当然のことかもしれません。「結果」を追い求めた私には、「過程」に多くの学びがあると気が付きました。

「過程」に努力を伴っても、理想とする「結果」に到達するとは限らないことを知っていたつもりでしたし、自分が理想した「結果」に達成しない場合、私は「過程」にあった努力は無駄と考えていました。「結果」を追い求めていました。

 

その最たるものの一つに家族の介護があると思います。

私の経験の一つですが、年老いた両親の介護の最終到着地は、看取りでした。ビジネスや受験などの目標でしたら努力した結果が見え、やり切ったという達成感もあります。

両親の看取りである「結果」に達成感を得る事が私にはできませんでした。両親を病気から助ける事はできなかったし、あのようにすればよかったかもしれない、こうしたら喜んだかもしれない、もっと早く気づいていたら別の治療法があったかもしれない、、と看取りまでの「過程」にも後悔を抱いていました。

 

ある時に、ふわりと心に浮かびました。

「結果」となる目標に向けた努力や想いも大切。同時にそこに至るまでの「過程」には人としての成長の要素が多くあるのだ、その「過程」を楽しみ慈しむことが私の課題だと気が付きました。

私には、介護が最もわかりやすい学びの形だったからこそ、二度も体験したのでしょう。

 

「過程」に多くの学びと成長があったと気が付いた今でも、介護と就労の両立時期に背負っていた事柄を楽しむ余裕を持てるかは、正直分かりません。

せめて、自分で全て抱え込まずに、向き合うべき誰かとその「過程」を分かち合えば良かったと思います。そして、寄り添ってくれた人達の姿がゆっくりと輪郭を伴って見えてきました。十年前のできことですのに、ようやく当時の自分が見えて来たように感じています。

 

とても抽象的で、個人の心象にまつわる投稿となり、恐縮です。

「過程」を楽しみ、慈しむことが自分の課題と気が付いたことは、無形財産を得たと感謝しています。これからは、この気づきを意識して過ごしたいと強く思います。

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。