#49:自分が決めた事を信じます~話す相手に対する信頼と敬意

こんばんは。

 

本日は終日雨模様となりました。

ニュースでは、外出機会の5割削減がコロナ感染拡大防止への一助となるとので協力して、とコロナ分科会・尾身会長が伝えていました。

 

コロナ禍の当初から、・尾身会長と「8割おじさん」のあだ名を持つ西浦教授が発信するメッセージは、都知事や他の政治家がスローガンのように提示する言葉とは一線を画して、私の心に届くことが多いです。

この時を共に生きている誰もがコロナ収束を願っているのに、そのメッセージが他者に届く人と届かない人がいるのは何故かと、心の何処かで緩く考え続けていました。

 

最近気づいた理由の一つは、語り掛ける相手を信頼しているか否かの差ではないかと思いました。コロナ感染初期にテレビ番組やSNSで伝えていたフレーズに思い当たりました。私の過去の記憶に残るメッセージ要旨です。(正確な発言ではなく、私の中で言葉を繋げたモノになっていることをご了承ください。)

「大震災の避難所で、厳しい避難生活環境にあっても、人々は避難所の玄関に置かれた自分以外の靴を揃えています。そんな国は世界中探してもありません。日本だけです。我々は、海外のように法的規制が無くてもこの危機を乗り越えることができると思います。その想いで情報を発信します。」

私には、日本に居る人々とその心を信じるとも聞こえました。

お二人がそのようなフレーズを枕詞のように繰り返している訳ではありません。けれども、政治家や政府に対して、感染学の専門家として真直ぐな発言を繰り返すことはマスメディアを通して耳に入りました。表に立つことで厳しい環境に置かれたことは想像に難くありません。学者として研究室に居る方がよほど気楽ではないか。立つべき時と決め、メッセージを届ける相手を信頼しているから、私の心に届くのかもしれません。

 

話す相手に対する信頼と敬意が、距離や手法を越えたコミュニケーションを成立させる。そんなことを考えました。

これから自分が関わる人に対して、そのように接していきたいと思います。その時に相手の反応に一喜一憂することもあるでしょうが、その度にここに書いたことを思い出します。

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。