#21:セルフトークを意識します~19 バンクシーって誰?展にて

こんばんは。

 

今日は小春日和で、午前中は太陽の光を暖かく感じました。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

緊急事態宣言解除と時間経過と共に新規コロナ感染者数が減少を背景として、久しぶりに大型の展覧会、『バンクシーって誰?展』に行きました。

 

Wikipediaによると、

バンクシー(Banksy, 生年月日未公表)は、英国を拠点とする匿名のアーティスト、政治活動家、映画監督。彼の政治および社会批評の作品は、世界各地のストリート、壁、および都市の橋梁に残されている。」とあります。

彼の作品は、世情や政治を揶揄するものを、街中のビルの壁、公共の建物、掲示されいてるポスター等にいたずら書きのように描かれ、その時代のその場所、その瞬間に存在することに意味があり、価値があるのだと思います。

日本でもニュースになりましたが、高額で競り落とされた彼の絵が、額縁に仕込まれた自動切断機で切り刻まれていく様子を覚えている方もいらっしゃるかと思います。切り刻まれることまでが彼の作品だと思いました。

 

バンクシーって誰?展』では、バンクシー作品そのものの展示はごく少なく、彼の世界観をアミューズメントパークのように体感する展覧会でした。内戦地の壊れた建物の壁や街の掲示板に描かれた作品群を展示会場内に再現し、その中を観覧者が歩きながら、ストリートアートを巡ります。

中には、バンクシーがイギリスとニューヨークで行った、ストリートアートを描きながらインスタグラムにアップした「足跡」をたどる展示もありました。

 

ストリートアートの展示物のほとんどは模写になりますので、作品を通したメッセージに意識を向けながら展示会場を歩いていました。

この展示会のアイコンにも使われている一枚。口元に布を巻いて、手を大きく振りかぶり、今にも遠くまで何かを投げようとしている男性の右手に花束が握られている絵を観ていました。現実の出来事では、火炎瓶を投げていたそうですが、花束に変わっています。

その前で、私の空想が始まりました。

花束を投げる。受け取った人は花をどうするのだろう。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと捨てるのか、花は花として飾るのか。

少なくとも火炎瓶が投げられた時と比較して、選択肢が一つ増える。

花を飾ったらどこに置くのか。何日間かそれを見るのだろうか。

何度も花束が投げ込まれ続けたら、受け取る人の気持ちに変化はあるのか。

次第に「花束」を「愛」という言葉に置き換えて考えていました。

その時に、はっきりと頭の中に響いたセルフトークが流れました。

 

「今、自分ができることをやればいい。」

 

絵画の才も音楽の才も持ち合わせていませんが、今の私ができる小さいことがあると信じ、それを実行すればいい。そう言って、背中を押す自分のようで自分ではない存在からのメッセージを聞いていました。

今でも、そのセルフトークが流れた時に観ていた展示会場の景色を覚えています。

 

バンクシーが監督したドキュメンタリー映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(2010年)があるそうです。10年以上前の作品ですがどこかで見たいと思います。

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。