#49:自分が決めた事を信じます~自分が楽しい選択

こんばんは。

 

本日、近所に新設された保育園の子供達が、雨の晴れ間にお散歩に出ていました。「でんでんむし、かたつむり~~~」と歌いながら歩き、その声が幹線道路から奥まった住宅街の路地に響きました。ただ楽しんで歌う子供達の声につられて、私も楽しくなり、曇り空の下でも和んだ気持ちになりました。

 

最近は、意識的に自分が楽しく思える方を選択するように心がけています。

楽しく思える、という表現は、身勝手に聞こえるかもしれませんね。

細くすると、誰かを支援するために自分が犠牲になってもいいではなく、自分が無理なくできる範囲、続けられる方法、できれば楽しく思える方を選択したいと思っています。

 

本日、オンラインミーティング上で伺った話と、その考え方が繋がりました。

ある二人の主婦のお話でした。

Aさんは、これまで、自分の事よりもご主人、子供、知人の事を大切に想い、それを実際に行動に移していたのですが、子供達が成長して各自の道を進み、ご主人は他界し、最期にAさんはひとりで暮らし、病気になったそうです。

Bさんは、自分の希望をはっきり伝え、人との軋轢を恐れず、利益を主張し、周囲の方々がBさんから受けるストレスが大きかったそうですが、今も家族と共に生活をしているそうです。

 ご本人でない限り、それぞれの人生の満足度がどうかは解りませんし、良し悪しでの判断はできないと思います。ですが、私は、これからの人生において、AさんでもBさんでもなく、自分も人も楽しく共に大切にする選択肢を見つけたいと思いました。

 

誰かの犠牲や献身の上に成立している選択肢は、選択する側がその犠牲や献身に気づき、感謝しなければ、継続できない時がくると思います。

身近な家庭内や兄妹関係にも、意識されない犠牲や献身の上に成立している事が少なくないと感じています。子育て、介護、家事のような日常生活にもあるでしょう。

私自身は、近所に住む親戚への支援について、ご本人も納得して、私も無理なく続けられて、これからもお互いに楽しいと思える選択をできるように模索しています。難しいけれど、何度も調整しながら、気楽にいこうと思います。

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。