#21:セルフトークを意識します~4 小学生のお小遣いから
こんばんは。
子供の日ですね。端午の節句を祝う鯉のぼりを見たり、兜のお飾りを出し、柏餅や粽を食べたりされましたか。これからしょうぶ湯を親子で楽しむ方もいらっしゃるかと思います。何も変わらずいつも通りに過ごした方も、「いつも通り」が幸せな時間のようにも感じます。
本日は、セルフトークの切っ掛けになった場面から始めます。
私が氏神様へお参りに向かう道の途中で、信号待ちをしている時でした。小学生高学年くらいの男の子達4~5人が先に信号待ちをしていました。その中のひとりが話始めました。意図せずに、小学生達の会話を立ち聞きしてしまいました。
A君:「お小遣いって、いくらもらってるの。」
B君:「週に50円だよ。」
C君:「月に400円ぐらいかあ。」
D君:「もらってないよ。」
全員:「え~!」
D君:「家の中でアルバイトしてるんだよ。月500円以上にはなるよ。」
E君:「家でバイト?」
D君:「お風呂場が僕の責任範囲なんだ。責任範囲をキレイにするんだよ。自分が希望して責任範囲を広げてもいいんだ。アルバイト代が増える。」
A君:「信号変わった、行こう~。」
彼らは信号を渡ると左に折れ、私は右に進み、別れました。
小学生の会話に出て来た、「お風呂場が僕の責任範囲」という言葉が心に残りました。小学生の「お小遣いの話」と大人のような「責任範囲」がかみ合わなかったのかもしれません。その違和感に意識を合わせていくと、セルフトークが始まりました。
最近はセルフトークを意識するようになった為か、今まで全く意識していなかった自分の想いに突き当たることがあります。
社会に出れば、労働の対価としてお金を手にします。家庭は社会の最小単位ですので、家の中でアルバイトをして対価を得るのは、社会と同じルールなのですけれども、何か違和感が残ります。
私の父は、祖父母に「働かざる者食うべからず。」と言われて育ち、私も幼少期から祖父母の言葉と共に家のお手伝いや弟達の世話をするようにと教えられ、担当する役割も決まっていました。鹿児島を故郷に持つ明治生まれの親に育てられた昭和一桁世代としては、当たり前の家庭教育だったのでしょう。
私自身が、自分はお手伝いには必要とされる存在、お手伝いをしたら褒められてお小遣いを貰えるという意識をその頃から持ったと思い当たりました。Being(存在そのもの)を認められるよりもDoing(行為やその結果)が自分の価値の様に感じたのでしょう。一方、子供でもお手伝いして親を助けるんだ、と少し背伸びをして家庭内での責任を自覚した時でもありました。
お小遣い制ではなく、家の中でアルバイトをしているD君はどう感じているのか、聴く術はありません。D君の親御さんがD君を大切に思う(Beingへの)愛情を伝えて、D君が感じている責任感とその範囲をキレイにしようとしている取り組み姿勢を褒めてD君の自立心が育まれるといいなあ、と感じました。
存在するだけで完璧だった赤ちゃんから成長して、役割や責任を自覚していく小学生。信号待ちですれ違った小学生の会話から始まった、還暦を迎えた大人のお節介な気持ちと子供の頃の想いに繋がったセルフトークでした。
健やかな一日をお過ごしください。
では、また。