#21:セルフトークを意識します~3 休日の公園で完璧という言葉

こんにちは。

 みどりの日の祝日をいかがお過ごしですか。

本日も快晴で乾いた風が吹く初夏のような陽気で、屋外での時間を楽しまれた方も多いのではと思います。

 

私は家から少し離れた埋め立て地にある公園を散歩してきました。1978年に開園され、今年で41年目。人口の土地の上に小さいながらも森や干潟が広がって、野鳥が飛来する場所に変わっていました。

人口的に造られた場所に樹木を植えると、その場所が元からそこに在ったか、人工物かなど何も問わず、自然の力が全体を包み込んでいく様は、時間の流れと深さに畏怖を覚えます。自然遊歩道に誰もが安心して足を踏み込める場所は、人間が安心を作り出している場所だけであり、そこから逸れた奥には深い樹々と草花の影が存在しています。

以前訪れた明治神宮の森は100年の歳月で作られた人工の森ですが、もはや人の手を離れている自然の力を感じます。同じような感覚をこの公園にも持ちました。

 

公園内のある広場はベンチや東屋が設置され、運河に向いて開いています。多くの家族連れの姿がありました。

歩けるようになったばかりの2~3歳の子供達が駆け回っていると、周囲のベンチに座っている大人達は何となく見守っています。子供のひとりが転ぶと、大人達が声を揃えて、「あ!」「危ない!」と声に出します。その声で親は子供の方を振り返り、子供本人はケロリと立ち上がり、おむつをしているであろう足腰を左右に揺らして親元に走っていきます。

 

その時に、セルフトークが始まりました。

幼い子供は、ただそこに存在しているだけで、完璧のだ。歳を重ねていくに従い、様々な条件や枠がはめられていく。社会の中の役割もこなしていく。本来は、誰もが生きているだけで、完璧なのに自分も他人もそれを忘れていく。

あの時、子供を見守っていた大人達のように、自分の近くの人達や自分自身を見守っていければ、それでいいのではないかな。

何故か「完璧なのだ」という言葉が繰り返し浮かぶ、そんなセルフトークを意識しました。

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。