#49:自分が決めた事を信じます~出来事への反応は選択できる

こんにちは。

 

東京を含む4都県には、3回目の緊急事態宣言が発令されました。続くコロナ禍。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。どうぞお身体には十分ご留意されてください。

1973年頃のオイルショックを日本史の教科書で学んだように、遠い未来から2020年を振り返る時に、近代世界史の1ページに記載されるような毎日を生きているのではないか、と感じています。

 

本日は、「自分が決めた事を信じます」に繋がる想いについてです。

「出来事への反応は選択できる。」

 

 以前、こちらで紹介した『完訳7つの習慣 人格主義の回復』 スティーブン・R.コヴィー (著) の中であるフレーズに出会いました。

 

私たちは自分の身におこったことで傷づくのではない。その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。

 

どんなに気に入らなくても、自分の力ではどうにもできない問題なら、笑顔を作り、穏やかな気持ちでそれらを受け入れて生きるすべを身に着ける。こうすれば、そのような問題にふりまわされることなはなくなる。

 

どちらも難しいことだと思っていましたが、一気に納得する瞬間を体験しました。

 

あるオンラインセミナーに出席した時です。少人数で、各自が内観する時間もあり、自分自身の感情や気づきを得ることができる時間に加え、個人的な課題や質疑応答も話すことができる、心を開ける環境でした。

私の質問は個人的な内容でしたが、講師の方がご自身の苦労した体験とそれをいかに乗り越えたか、自己開示と共に私の視点を変えるようにとお話くださいました。他人を動かすために、自分の体験を通した成功事例を提示することはとても有効だと思いますし、乗り越えた結果が目の前に存在している姿として見えるのば、とても心強いと思います。

ところが、私が一番強く受け取ったものは、「私はあなたよりもっと辛い環境を耐え、乗り越えた。」という言葉に織り込まれた感情でした。私は反射的に「人が向き合う課題に対して、誰かのそれと比較する必要があるのかな。」と感じてしまいました。

 

正にその瞬間に、そこで起きた出来事に対して、私は否定的な感情の「受け取り」を「選択した」のだ、と気が付きました。否定的な感情が在ったとしても、「受け取らない」という別の「選択」もあったはず、と思います。感情ではなく、自己開示によるアドバイスと言葉通りに受け取ることも選択できたと思いました。

そして、他人の感情は自分にはどうしようもない問題で、自分が変えられないのであれば、穏やかな対応をすべきだと気が付きました。その瞬間に、『七つの習慣』で見たフレーズが頭の中に浮かび、繋がりました。

併せて、私が過去に「他人の課題を自分のそれと比較した側」の経験があるからこそ、今度は逆の立場である「比較される側」の経験を通して、その感情を味わったのだ、とも気が付きました。

 

人としての心や精神の成長は、人生の練習ドリルのような場面に何度も遭遇し、体験を通して学び、手応えを得ていくと感じます。

次の練習ドリルの場面では、笑顔で穏やかな対応をするところまで進もう、と思います。

 

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。