#49:自分が決めた事を信じます~異なる周波数を持つ私たち

こんばんは。

 

2021年の半分が過ぎました。今年のこれから始まる半分の予定はいかがですか。

 

本日、都議会議員選挙の期日前投票(投票日は7月4日)に行ってきました。昭和の時代から見れば、投票しやすい環境になりました。私が一票を投じた候補者が当選しなくても、その人の公約に対する賛同の意思表示をすることができました。

 

先日、海外在住の友人とLine電話を使って近況報告を交換した時に、ある話題の中で彼女の表現したことが印象に残りました。

「同じ職場や同じ環境で長い時間を共有していても、一人ひとりは別の周波数を持って存在している。同じ食べ物を口にしても、周波数が異なれば、感じ方も違うので、異なる体験をしていることになる。他人の発言や態度は、自分とは異なる周波数で発信されているのだから、判らないことがあって当然。分かり合おうと努力しても、分かり合えない部分が残っても、それでいいよ。」

 

友人独特の言い回しですが、「異なる周波数」と表現された中には、外見や性格等だけではなく、体験を通して作られた価値観、環境、志向、視点等も含まれていると思います。他人と自分は違うのだから、分かり合えない部分が残っても、お互いの存在を認め合おう、同じでなくていいんだよ、とストンと受け止めることができました。

その上で、分かり合えなくても、それでいい。

ゲシュタルトの祈りの言葉にも近い友人の話に、私自身も気付きがありました。

 

ゲシュタルトの祈りフレデリック・S・パールズ(ドイツの精神科医

私は私の人生を生き、

あなたはあなたの人生を生きる。

私はあなたの期待にこたえるためにこの世にいるのではないし、

あなたも私の期待にこたえるためにこの世にいるのではない。

私は私。あなたはあなた。

もし私たちが、たまたまお互いを見つけ出すなら、それは素敵なことだ。

しかしそうならなくても、それもまた仕方のないことである。

 

 

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。