#21:セルフトークを意識します~16 街の音と母の思い出

こんにちは。

 

今日の天気は、秋の行楽日和。部屋から出て森林浴に向かいたい気持ちが湧きますが、緊急事態宣言中。代わりに、近所を少し歩きベランダでいつもより長い時間を過ごし、秋の乾いた風を感じて気を紛らわせます。

皆さんはいかがお過ごしですか。

 

最近、近所から聞こえる生活音や人の声にほっとすることに気づきました。

定時に聞こえる保育園の先生と子供達が散歩している笑い声、休日の夕方にキャッチボールをしている音、廃品回収車から流れる音楽、毎日夕方の5時に流れる地域独自のオルゴール音。時には、兄弟げんかや思しき子供が喧嘩する声やお母さんの怒鳴り声も聞こえてきます。

コロナ禍であっても、季節は移り、人々は日々の時間を過ごし、生活していく。自然の逞しさと不変であることに安心感を覚えます。

 

ふっと、15年程前の出来事を思い出しました。

母が自宅のベランダに出ていると、どこの家から聞こえるかは分かりませんが、子供の声が聞こえたそうです。「お母さん、一度でいいから僕の話を聞いてよ、一度でいいんだよ。」と男の子が泣きながら大声で叫び、それに対して、男の子の母親の声は何も聞こえなかったそうです。母は、男の子の泣き声が続く事、自分が子育て中に感じていた母親としての反省や想いが湧き上がり、今の自分ならどうするかと考えたそうです。

その結果として、母は、ベランダからその声が聞こえる方向の街に向かって、「一度位子供の話を聞いてやれ。子供を抱きしめなさい。」と大声で叫んだそうです。

 

母がその話を意気揚々と私に話した時に、私はベランダから大声で叫んだことに対してとても驚きました。その驚きで、母が叫んだ後、男の子の声が止んだかどうかは忘れてしまいました。

母が叫んだ年齢に近づいた私は、母がひとりの人間として、母親の役割と経験、気持ちを追体験した結果の行動ではないか、と思うようになりました。その時、母は私たち姉弟が泣いていたら抱きしめれば良かった、叫び出すほど、昔の自分に伝えたいことかもしれません。

 

母にまつわる出来事への見方が変わった日でした。

健やかな一日をお過ごしください。

では、また。